2022.10.06
開発部に属する筆者ですが、今回は技術的な話題から離れて「国語力」について語ってみようと思います。
文部科学省の審議会 答申の中に国語力とは
という2領域から表される、という記述があります。
この1の領域が情報システムを扱う上で極めて重要で、筆者はプログラム書く能力よりも必要なんじゃないかと思うことも多々あります。
1の領域を答申の詳しい説明から見てみると、
システム屋にとって要件を解釈することが仕事の始まりなので、【考える力】が無ければその後の工程を遂行する能力を発揮する前に試合終了です。
また、要件の解釈は一方通行ではなくこちらが解釈した(と思っている)ことを相手に伝え、間違いが無いか、過不足無いかの確認キャッチボールをするのが普通です。
出来上がってから齟齬が発覚すると大ダメージなので、ここで論理構築力が効いてきます。
アナリストが受け止めた内容をチームメンバに広める時も論理構築力によって伝達内容が造られます。
システムに於いては例えば列挙された要求事項の重要度、優先順というようなファクタが絶対的尺度で語られることが殆どないので、所謂「行間を読む」とか、若しくは業態、業種、ビジネスエリア、そして顧客の担当者や上席者のこだわりといったものから類推して決めていきます。
ユーザインターフェースを設計する際にはラベル、説明テキスト、メッセージのようなシステムからの「語りかけ」が利用者にどのように「響く」かを想像できる感性が必要です。これには相手の文化圏での語彙知識や慣習、常識も求められます。取扱説明書、マニュアル、ヘルプのようなアウトプットを作成するのにも【感じる力】は大いに発揮されます。
数々の「モノづくり」の中で情報システムは【想像する力】を強く要求される分野です。何故なら、
・制作物が物理的な形のないシステムだから
・同じものを2度と作らないから(同じものはコピーしてしまえば済むので)
という特性があるので、顧客の問題解決を空想の中で実現し、顧客が新しいプロセスを利用している姿を描けるだけのイメージ力が他のモノづくりよりも強く求められます。
この力も国語力の一端として発揮されるのです。何故なら頭の中で想像するという行為は、無意識に内にその人が知っている言語を使って組み立てられているので、国語力が乏しいと想像の中の表現も乏しくなってしまうのです。
芸術的なイメージの想像は異なるかもしれませんがシステムをイメージするというのは言語表現と切り離せないのです。
技術職にありがちな「博識だけど説明がヘタ」な人は【表す力】が不足しています。脳内では充分に理解していても、それを記憶の中の適切な単語に結びつけて表現としてアウトプットを作り出すには国語力が重要です。【感じる力】や【想像する力】を組み合わせて、相手の文化圏や知識量に合わせた表現を組み立てるのは高度な国語力を必要とします。
人間は頭の中で思考する時、自分の普段話す言語で思考しています。言語によって論理に向くとか向かないといった差がある、という議論が為されており、あくまで一般論として英語は論理思考に向いていて日本語は論理思考しづらい、という研究もあるそうです。
日本語を話す日本人でも論理思考に優れた人はいくらでも挙げられますが、一般人の一般論として有利不利というのはあるようです。
大人になってから国語力を伸ばす方法はあるのでしょうか。小中学生向けに「国語力を伸ばす方法」を検索すると「読書する」「音読する」を挙げているサイトが多いようです。大人向けは特別違ったメソッドが必要なわけではないでしょうから同じように読書を重ねるのが有効だと思われます。
ただ、大人になると「飛ばし読み」が上手になってしまって意識して読まないと「精読」ができなくなっているかもしれません。この点、音読すると飛ばし読みできないので効果が高いのですが、大人が遠慮せず音読できる場所は限られていそうです。
せめて「丁寧に読む」を意識して本をたくさん読みましょう。